人間力を高める月間雑誌「致知」の読後感層会を通し、「学び実践を深める会」です。
月刊「致知」の読書とその感想の会は、自然の摂理,自然の意思の理念と実践が伴うほどに先人、先賢、先哲の智慧を学び合えるものと心得ている。「致知とは何ぞや」ということからある。
格物致知という言葉がある。朱子学に、後天的知を拡充(致知)して自己とあらゆる事物に内在する個別の理を窮め(突き詰める)、究極的には、宇宙普遍(変わらぬ)の理に達する(格別)ことを目指す。それによって物事を正しく処する(格物)ことを目指す。知行合一となる。王陽明は、致知の知は良知であるとし、知は行のもとであり、行は、知の発現であるとし、知と行は、同時一源であるものと例えられる。良知は、孟子、先天的な道徳知、心即理を知良知へと展開して、良知は心の本体について、理の発出であり、この良知を物事の上に正しく発揮することによって、道理が実践的に成立すると説いた。陽明が、社会的現実に即応する理を打ち立てる。
陽明学では、先天的道徳知としての自己の良知を十分に発揮して(知良知)事物の本質を究めて、知識を深めること、全てのことについて、心を正し、自分の持っている良知を磨くこと。
大学の八条目には、格物、致知、誠意、正心、修身、齋家、治国、平天下のうちの二つに格物致知、研鑽に務めること。
巻頭の言葉にある導入部からの学び、
茶の湯が伝える平等・寛容の精神性。千玄室、利休は神とキリストの宗教観から東西の一体感を見出した。茶道に区別差別なく、武門と雖も、帯刀を許さず、丸腰で茶室に入れるなど、キリシタンの教えが、人間の平等・寛容、そして自我意識など多くの自覚を人々へ与えた、共通の一体感のある宗教観の見出した利休は、茶の湯を茶の道、茶道とした。道の国日本の基本理念である。道を高め、道からの学びが人の道、人道が求められる。道、生き方の作法である、自分はどの道を生きているのか。
致知30年2月号の特集主題、「天 我が材を生ずる 必ず用あり」放浪の果てに、唐代の詩人、李白の嘆きとも思われる詩であるが、この詩文から今月を読む。この詩文がどこで活用されているのか、この詩のような出会いはあったのか、毎月の致知の登壇者、インタビュー、執筆者は。どうとらえて書いたのだろうか。ここを外さずに読書する、何が書いてあったから始まり、どう実践されたのか、どうか変わったのかを探索する、何を言いたいのか、何を学んだのか、自分の関わりで受け止めているか。子の学びの同感謝するのか。深く高くとらえてみよう。読後感想は、何が書いてあったかでは、報告とかレポートにすぎない、感想ということは想いを同感することから、感動、感激、感銘などを覚えるはず、話さずにはいられない、自分との関わる感想を述べられるものである。深く、高くとらえてみる。
自分の仕事は天の与えてくれた才という人は、実はそうであることに気付いていない、その仕事を始めた経緯を見るとわかる、定年でその才に出会う人、出会えずいる人。森信三は、この世に生まれてくるとき一通の封書を抱いて生まれてくるが、その封書を開かずに生涯を終える人がいかに多いか、李白の我が才、必ず用ありと思いながら、一向に必要とされない人、このことの学びは、我が人生の本当に求めていた才は、別にあるかもしれない、それを活かせる人には大きなチャンスとなる。生業とは違う。天の求める、与えてくれた才である。天命でいう使命、わが命をどう使うかである。今にして、思えるのは、我々は、この世に生を受け、父母の愛に包まれて、独り立ちしていく、その時、それは、何の思いも希望も、計画もなく、飛び立ったのではない、10歳になったころ、自分の未来への歩む道は、既にあったのだ。その道を歩めなかった諸人は、これからの人生を、純真無垢のあの頃の純粋は思いを自己実現に向かい、歩みだそうではないだろうあ。
涙の感動講話がある。
徳永秀樹先生の子女への教育。蟹工船小林多喜二の母の愛、神渡良平著の地湧の菩薩たち、下座に生きる、、、、、、、、、
2018.5五十嵐薫筆
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