宇都宮木鶏クラブ

人間力を高める月間雑誌「致知」の読後感層会を通し、「学び実践を深める会」です。

論語の実践は、五常五輪の科目の実践が一番

2017年12月03日

「仁・義・礼・智・信」の実践のカタチは、恕・哀・敬・謝・恩・愛としての行いとその心になる。先ずは、敬と謝、同義語として、意は別にある。この言葉、
連ならないと、成語にならないかもしれない。敬は、相手を尊ぶ、礼を尽くす。
尊敬である。謝は、あやまる、詫びる、あるいは、はなれると直訳するが、漢字の意志は、行いとして礼をを言う、礼を尽くす。尽くすとは、ある限りを出し
切る、精一杯、果たすなど、尽力といわれる。何の例か謝の礼である。
敬謝、共に一言でいえる日本語がある「ありがとう」である。語源は「有り難い」出典は平安中期1000年頃の、清少納言「枕草子」に「有り難きもの」、
この世にあるのが難しいほどの意味で「有るが難し」、中世の鎌倉時代から室町時代に、仏の慈悲など、貴重で得難いものを自分は得ているという意味で、宗教的に感謝の意味で使われた。近世、江戸時代頃には、「ありがとう」お礼挨拶ことばに、感謝の意、言葉となり現代に至る。敬と謝である。礼の実践のカタチである。心である。「ありがとうございます」は、日本語の金字塔であるという意味がここにある。英語はthank-you思慮をあなたへ、感謝の思いを表す。一日に何回有難うといい、云われているのだろうか。その数多いほど、仁・義・礼・智・信の五常実践すべてを蔽い尽くせるものではないだろうか。しかし、論語ではさらに「禮の和を用いて尊しと為すは、先王の道も之を美と為すと。和を知りて和すれども、禮を以て、之を節せざれば、亦行うべからざる為り。(假名論語学而第一p7)短絡的にいえば、「ありがとう」と言うとしてであっても、禮を伴わなければ(禮とは敬謝謙譲、仁の思いやり)、ありがとうも、巧言令色鮮なし人仁、本心の真の感謝にほど遠いものではというようだ。


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